学びが深くなれば何でもいいとも思わないです。アクティブ・ラーニングの視点ではないことも考える必要があると思う。
国際的な学力テストで日本の教育はあるていど結果を出しているけれど、ただ結果が出ればいいとは思わないです。そのプロセスが幸せだったのかとか、プロセスの質も問われるべきだと思うから。いくら結果が出てもそのプロセスが地獄だったら、イヤです。それだったら、そんなに結果が出なくても(あまりにも結果が出ないのも問題だけど)、そのプロセスが楽しくて幸せなほうがいいと思います。


突然、斎藤正二先生の本に書いてあったことを思い出しました。教育にだけに限らないけれど、いろいろな視点から検討することが大事だと思う。昨日学んだグラウンデッド・セオリー・アプローチの研究法とも重なります。



同じアクティブ・ラーニングの授業でも他の視点からも考える必要があると思う。


同じ授業でもあの人はアクティブ・ラーニングと言うけど、この人はアクティブ・ラーニングだと思わないということが起きてくる。でもそれはきっといいこと。視点があるだけで、特定の方法や型の授業を目指すものではないから。抽象的な視点ではなく、もし特定の方法や型の授業を目指すのだと明確に具体的にがちがちに打ち出されたとしたら、きっとかなりの混乱と反発が生まれると思う。



アクティブ・ラーニングの視点から、ああでもない、こうでもない、うだうだやっているうちに、漸進的に多様だけど、いくつかの方向に向かって授業や学校が修正されていくと思う。