『ドルトン・プランの教育 (世界教育学選集) 』パーカースト

『ドルトン・プランの教育 (世界教育学選集) 』パーカースト

読了。


その原理は自由。子ども中心主義。
やはりサドベリースクールやイエナプラン教育に近い考え方の教育。


時間割を廃止するべきだという話。
公立小学校で、
それはなかなかできないけれど、その境界に立つことはできる。
時間割があるところとないところの境界。

たとえば今日「ちいちゃんのかげおくり」で子どもたちは教科書のテキストに線をひきながら、考えたや質問を書き込んでいたのですが、ある時間で区切りました。でも「もっと書きたい」という声が聞こえてきました(其の時はそのまま区切ってしまいました)。もしそういう声がすごく多ければ、「ちいちゃんのかげおくり」を読む授業時間を少し増やすとか、単元の授業時間数を増やすとか柔軟に対応できると思います。


この即興的な対応はとても大事だと思います。
逆にすごく反応が悪い時には、その学習時間を短くすることもあります。


つまり時間割はあるけれど、ないような振る舞いをすることがある。そうすることができるし、そのことには価値がある。
それは無計画ということではない。


文学教材の授業に命をかけているような先生で「ごんぎつね』などで、20時間近く精読の授業をする人もいます。それもいいのかもしれないです。




パーカーストショーペンハウアーはそれぞれ違う意味で「自然的」という言葉を使っている。パーカーストの場合、さっきの時間割で区切ることが悪である考えることの象徴されるように、興味がある学習は時間で区切らず気が済むまでやれるべきだという考え。そういう自由や興味を大切にする子ども中心の考え方でされる学習や教育を自然的と言っています。一方、ショーペンハウアーの教育論の自然的とは、カント的に、認識が直観にもとづいていることを意味しています。直観に基づかない認識は自然的ではないということです。だからショーペンハウアーは、ファンタジーみたいな読み物を子どもたちに与えることを否定しています。



進度表。
もしドルトンプラン的な学習を取り入れるとしたら、
この道具が重要になる。



あと子どもの興味のおもむくままに学習できるのが、経済的なんだという話もあった。一理ある。ここを無視することはできないです。