レヴィナスマルクスも(思想)『ブルージャイアント』のような物語(漫画など)も「暇と退屈の倫理学』(これも思想も)『死ぬこと以外かすり傷』(啓発書)も、人の欲望レベルを変える仕事だと思った。この世界には、欲望や思考レベルのことが変わるように働きかける仕事をする人がいる。
千葉雅也さんのツイッターより
「安倍政権が文化破壊に向かっているとして、それをやめろ!と批判するより、そういう政権の姿勢は大衆的欲望の表れなのだから、広く人々に知的刺激を提供し続ける、知的に生きるのは楽しいよとガイドし続けることの方が、根本的な政権批判だと思う。『勉強の哲学』を書いたのはその一環。」
「たんにいまいる政治家を批判しても政治は変わらない。大衆と「思考するための普通じゃない言語」をつなぐことで、大衆の欲望を変革するのでなければ、根本的な政治変革は起こらない。」
「これは文化左翼とは違う。文化左翼とは、上部構造=文化レベルでの差別とか承認などの問題を語るもの(いわゆる「リベラル」はそこにこだわる)。僕はそうではない。上部構造と経済的下部構造双方より下、「下部構造よりも下部」の思考=欲望プロセスに介入すること。それが『勉強の哲学』。」
「そもそもなぜこのような経済-文化システムを欲望してしまうのか、ということについて、ときにより上部構造的でも下部構造的でもある介入によって、欲望それ自体を変えること。ドゥルーズガタリアナキストそもそもそれを考えており、それを表面的な「承認の政治」に劣化させたのが文化左翼である。」
「下部構造よりも下、すなわち欲望の根源、あるいは主体化のプロセスに関わる政治、それは外見上は「政治的ふるまいには見えない」ようなものであり、これを「インフラ・ポリティーク」と呼ぼう。人間の下部構造を問題にする、「政治以下の政治」である。」



教育の仕事もよく働けば、子どもたちを思考や欲望レベルで変えていく力がある。学習は、もし教師がいなくても、学校がなくても起きる現象。学校に行かなくても、学び続けるということは、新たな視点を獲得し、自分を相対化し、思考や欲望レベルで変化し続けていくことだと思う。学ぶことで、思考や欲望は少しずつ作り変わっていく。
昔からずっと思っていることは、よく学ぶ子は、学ぶことの楽しさを本当に知っている人は、人をいじめない。そんなことしている暇がないし、そういう趣向は自然となくなっていくと思います。賢明な人がもし存在するなら、その賢明な人は、嫉妬や不安、退屈の解消のために人をいじめるなんて、残念な気晴らしの仕方はしない。
だから、学ぶことに安心して楽しく向かっていけるようにすることが、僕は最大のいじめ対策だと考えています。