2018-09-23 ■ 出版。 アトウェルの本が翻訳されている中で、 自分が何か書いて伝える意味はあるのだろうか。 多分、今の翻訳本は、ジャンル学習のところが原本よりも薄くなっているから、そこをヴィゴツキーやアナロジーの研究と関連づけて実践を語ることには意味がある思う。 一つの考えには、フォロワーが必要だと思う。そういう意味もあるかな。無意味ではないだろう。