理想のない人を見よ!という夏目漱石の言葉も思い出しますの続き。
こんな人間はいないし、こんな人間にはなれないと切り捨ててしまうことは簡単だけど、なんでキリストの話もそうだけど、こういった人間についての詩やエピソードが胸を打つのだろうか。それは、アレグザンダーの生命の現象の思想にも繋がっているように思う。
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偉大な人として(1)
自分の責任があろうがなかろうが、
あなたは、迷いの心を捨てたにもかかわらず
自分から進んで
このはかなき世に出現された
人に親切をするのには
動機などなくてよい
人を愛するのに
理由などなくてよい
あなたは、友なき人の友となり
家族なき人の家族となった
あなたはその身ですら
喜んで他人に捧げた
他の物などはいうまでもない
あなたは命すら惜しまなかった
(その勇気に)
人々はどれだけ歓喜しただろう
殺されそうになった生き物たちの
身をあなたは、その身で
命をあなたは、その命で
救ったことは、何百回におよぶのだろう
あなたは(地獄などの)悪道に堕ちることを恐れず
天界に生まれることを望まなかった
ただ清らかな心
それのみが、あなたの戒律であった
邪なことはいつもその身から斥け、正しきことのみ行っていた故に
あなたはその行いが無上の清らかさを持っているただ一人の人だった
(百五十の節からなる釈尊をたたえる詩)
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マートリチェータの詩