ブッダを讃える詩 マートリチェータの詩

これはブッダをたたえた詩ですけれど、
キリストの愛するは、元の言葉はアガペーという言葉で、人を大切にするという意味でも、小さくされた人の側に立ってという意味も含まれてくる。そういうことを教えてもらいました。
 
自分は日々の生活で何ができているのだろう。学んでも活かせなければ無意味だろうか。少なくとも、学んでいれば活かせる可能性はできるかな。
 
偉大な人に精神に感じるもの。厳しさも感じる。
 

清らかな心と自己否定には、切ってもきれない関係がありそう。

この自己否定は欲望がなくならないことが前提。その上での自己否定。

影がうんたらという『ゲド戦記』や『ナウシカ』とも繋がるかもしれない。
影に執着しつつ(執着というか自分と一体)、影に執着しない生き方というのだろうか。泥の中に咲く蓮の花のような生き方。

 
=========================================
偉大な人として(1)
 
自分の責任があろうがなかろうが、
あなたは、迷いの心を捨てたにもかかわらず
自分から進んで
このはかなき世に出現された
 
人に親切をするのには
動機などなくてよい
人を愛するのに
理由などなくてよい
 
あなたは、友なき人の友となり
家族なき人の家族となった
 
あなたはその身ですら
喜んで他人に捧げた
他の物などはいうまでもない
あなたは命すら惜しまなかった
(その勇気に)
人々はどれだけ歓喜しただろう
 
殺されそうになった生き物たちの
身をあなたは、その身で
命をあなたは、その命で
救ったことは、何百回におよぶのだろう
 
あなたは(地獄などの)悪道に堕ちることを恐れず
天界に生まれることを望まなかった
ただ清らかな心
それのみが、あなたの戒律であった
邪なことはいつもその身から斥け、正しきことのみ行っていた故に
あなたはその行いが無上の清らかさを持っているただ一人の人だった
(百五十の節からなる釈尊をたたえる詩)
 
================================================
マートリチェータの詩