ノンアル244日。

CD屋とか、アマゾンで注文待つとか、我慢できなくて、国府達矢さんの新譜、iTunesで買ってしまった。でも、とにかく今聞きたいので、よかった。今必要なのだ。こうやって音楽に力をもらって、またがんばれます。

 

若干、風邪気味。葛根湯、早めに諦めて寝る。

 

寝る前のジュースをやめよう。

 

 

飲茶さんの正義の本を思い出して。
自由の相互承認は、功利主義とは違う。功利主義の理屈を貫くと、自分を犠牲にしても、全体の利益を優先するべきだという結論になる。自分も大切にしないのは、違うといつからか思う。
 
「愛は捧げるものだ」という考えもあるけれど、これはそこに幸せを感じる人間がいるとして、その人の生き方としては、自由の相互承認と反さないかな。ただ、自分がそう生きるのは、自由だけど、愛は捧げるものだという生き方を強制してはいけない。
 
「愛は捧げるものだ」という考えは、フロムの自由論に通じると思う。自己犠牲には2種類あるっていう。
 
まだ読んでいないけれど、苫野さんの愛の哲学もきになる。どんな原理を述べているのだろう。