ノンアル429日。

 

・クリーニング出す

・定期更新

・Tシャツ買う。

・ろうきん入金

ダンベル買う。

 

 

 

 

 
教育現場の人が哲学を学ぶ良さ。教育学の様々な理論がどこから来ているのか知れる。それに今の教育理論を哲学の視点から相対化できる。後者が特に大きいと思う。
一つの大きな問題は、教育現場の人が、現場の知識だけで、それを絶対化してしまうこと(こういう人はほとんどいない。極端な表現ですが、この方向に偏った人は結構、いるかもしれない。哲学なんて尚更で教育書も読まない)。ここに陥っていった人は、慎みのないかなり痛い感じのベテランになってしまう。
 
例えば、ある学校には、こういう人たちがいた。授業研究協議会のような場所で、一人の人の授業を集中して非難し、とっちめてやろうと。想像力などの知性の力能を微かにでも発揮できる人なら決して、こんな判断はしないだろう(だいたい相手の考えを一方的に否定し、自分の方法を相手の状況を踏まえないで正しいことだと主張するなんてまともな知性の持ち主なら恥ずかくてできない)。これは大人のいじめですし、ごく一部の人だが、カレーのいじめ事件も最近あったが、教育現場には、こういう大人が残念ながら混じっているのだ。こういうメンタルの人の教育には、どのような影響があるのだろうか。
もう一つの問題は教育の分野の知識以外からの視点がないこと。教育分野の経験や知識を相対化する視点に乏しいこと。例えば、科学とは何かというようなメタの視点がなければ、どのように教育学の知識が構成されているのか、わからない。どこからで聞いた、齧ったような知識を絶対化して、慎みなく他者にのたまってしまう。さらには、他からの視点によって、考えを発展させるチャンスが見逃してしまうだろう。