一日一つパタンを書けば、365日で365パタンって、そんなうまくいくわけないか。そんなにあっても使いこなせない。
 
協同学習という学習形態のパタンがある。その中には、協同学習といっても、ケーガンの協同学習もあれば、総合的なテーマ学習で協同学習をどうやっていくのかというのもあれば色々ある。協同学習という学習形態の大パタンの中に様々な小パタンが含まれている。とりあえず大きなパタンを記述して、その中に小さなパタン(できれば簡単な説明も)が含まれるようにする。その小さなパタンはパタンリストにはある。そんな感じの記述をまず目指そうと思う。
 
「パタンの圧縮」というアレグザンダーの概念、めちゃくちゃ大事だと思います。協同学習やっていますといっても、その中に類推的学習を重ねるができる。さらには協同学習という大パタンに、どのような小パタンを重ねて設計していくのかという問題がある。こういう設計を毎日、状況に応じて簡単に短時間でやれるようになっていくこと(状況によってはたくさん時間をかけることもあるかもしれないけど)。これが目指す姿なのかもしれない。
 
自分の教育のデザイン力を高めるために書いている。それでいい。自分は優れた教師とは自信をもって決して言えないけど、自分のこの道が幾らか少しずつマシな経験が設計することに役立っていると確かな実感、フィードバックがある。地に足がついている。これでいいよ、自分。
 
ただキャッチーな名前はかなり好まないのですが、ナッジ(肘でそっと突く)とかエンゲストロームの胚細胞モデルとか、こういう絶妙な比喩を使った名前は、好きです。
 
ナッジは、教育の世界で、多くの環境調整と重なると思うけど、ナッジと呼んで自分は整理していく(環境デザインの中にナッジがあるという捉えでいいのかもしれない)。経験上、愛って、ある意味、お節介なんですね。ナッジって、比喩には、そういう意味合いがなんとなく含まれていると思う。リバタリアンパターナリズムという境界の思想が自分にはあっている。