「教育の目的としての力能」と書いたけど、「教育の目標としての力能」だと考えを改めました。書いたものを今日は修正。
と思ったけど、少し読み直してやめた。目的も目標も進んでいきたい方向を示すもので、上位にあるか下位にあるかの違いでしかない。ある目的は、上位の目的からは目標となるのだ。
地道な一人一人の力能の発達の中や先に、人格の完成も自由の相互承認の感度も、幸せに生きていくことも、創造も、世界の平和もあるだろうから。力能の発達と人格の完成のどちらが先か問うても意味がないかな。これまで教育の目的として考えられてきたことも、マルザーノ・タキソノミーで示されるような教育目標も、全部、スピノザの力能の一部と捉えることができる。スピノザの哲学が、神即ち無限という哲学だから。