自分がパタン・ランゲージを書いているのに必然性を感じます。まずそうしないと記憶を保持できない。学んだことの応用をよりよく行うためにも必要不可欠。
 
あと自分の人生にも、自己教育にも役立つ。
 
別に何かを証明したわけではない。もう幸せな生活、仕事に直結していることなのだ。
 
一つの手立て、介入について、量的に証明することに興味がない(そういう量的な知的生産物を消費することはあっても)。ディベートしたり討論したりすることにも全く興味がない(批判、吟味をしても)。
自分が何をやらないで、何をやりたいのか、何をやるべきなのかより明確になってきました。