第1章「生命」の現象を読んで
・アレグザンダーは、有機物にしか当てはまらない、生物学の生命の定義を拡張した。無機物にも、この世の全てのものに生命の強弱を感じることができる。
・この本の理論は、教育学に応用できるな。ここで問題にされている生命の強弱、秩序に対して、エポケー(判断停止/捨象)するものが、教育学のエビデンスベースの量的研究。物理学と同じでエポケーするからこそ捉えれるものがあるので、これはこれで大切。しかし、アレグザンダーの理論は、教育事象を考えるときに重要な視点を補ってくれる。
・アレグザンダーははっきりと言葉を使うわないので、無自覚かもしれないが、彼の理論はアプリオリな学であると思う。アプリオリというのは、経験によらないということだ。アレグザンダーは、フッサールやカントと同じで数学への造詣が深い(無意識に数学的なアプリオリなアプローチになっているのかもしれない)。人の全ての物事の認識を基礎付ける理論であって、これは経験を一般化して出てくるものではない。科学を拡張するものだとアレグザンダー自身は言っているけれど、彼の理論は科学を基礎付けるものではないかな。僕はアレグザンダーの理論をアプリオリな学として受け取ろうと思う。それがアレグザンダーの本意でないとしても。多分、アプリオリな学とアポステリオリな学(例えばパタン・ランゲージ)が混じり合っている。
・僕は論争に興味がないけど、竹田青嗣さんたちの欲望論よりも生命の強弱の方がより基礎的、原理的と言えるのではないかな。なぜなら欲望は意識的なものであるが、生命の強弱を感じることは、意識的な働きではない。より根本的な無意識によるものだから。
 
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