お酒を飲みながら振り返って書いたこと。お酒を飲んだときに出てくることもある。基本は飲まないけど、昨日みたいな時だったらいいかもしれない。

40歳を超えて、インプットは、し続けるけど、アウトプットをこれまでもしてきたけど、よりアウトプットに重きを置いていく。そうなっていきたいと思います。具体的には作ってきた文章を洗練したものしていくこともそうだけど、特に実際の仕事の部分。他のことの可能性も考えて行動したい。

最近、片付けしていたら、教え子の子が高一の時の年賀状で、小学校の2年生の時の作家の時間で、物語を書いたことについて書いていたことを目にしました。他にも作家の時間について貴重な経験ができたと伝えてくれた子もいて、僕としては、記憶に残るものになってよかったと思っています(おそらく役立っているという感覚や認識があるのでしょうね)。僕もいい教育は記憶に残っているから(悪い教育もだけど)。
それは、わかりやすさか、役に立つか、楽ししさかというよりは、総合的なもの。丁寧さについては、自分が仕事する視点で記憶にすごく残っている。同じ職場の先輩やアトウェルなど私淑している方たち。
 実は禁酒をしていたのですが(2ヶ月と2週間続きました)、職場の飲み会で一度、今月飲んで、今日は今月の2回目の飲酒。もうあまり飲みなくはないのだけど、飲んでいる時だけの生があることも確かなのかもしれないです。
原理を絶対化する単細胞らが嫌い。最近の研修で、問題行動に関してどうするのかと話してくれた大学の教師がいた。彼は、考え方や視点を話してくれてすごくよかった。こうすれば、絶対に成功するなんて話ではないのだ。
こう書きながら、美学とにているかもしれない、教育学は。規範性や普遍性がありつつ、否定もできるという。美学とは違うか。同じもところもあるけど、違うな。
教育学も広く、教育の実践論も規範性を帯びるものになるだろう(ここはカントの美学と同じ)。出版社は、必ず成功するみたいな書き振りで売る。しかし、残念ながらそうはならない(ここもカントの美学と同じだな)。
ここがおもしろい。教育学は、規範性を帯びるけど、美学と同じで理念的なものだ。経験的にはそうならないことも許容する。そういう塩梅だなのlだ。それは、そうだ。教育が直面する状況は共通する部分がありつつも、同時に無限の差異の中にある。
まあ、それでも、出版社の誇張した表現を、冷ややかに見てしまうけど。
今、資産運用についても調べているのですが、教育学と美学とも共通する部分があって面白いです。理論上は規範性を帯びるけど、経験上、個別には違うこともある。つまり、例外がある。
ここ面白いな。その根拠は、やはり差異にある。個別の差異。規範性を帯びる理論も状況的なものであり、状況によっては、逆の結論になる。これは資産運用の理論と教育学の理論に共通するところだと思う。
カントは、ここの問題を限界まで考えた人。それでも時の制約のある人で、批判から逃れることはできない。」