単純思考は良くない(この考えも絶対化するのは良くないかもしれないけど、仮固定)。経済成長ばかりで環境について視点を疎かにされてきたということをマルクスの研究者が指摘していたけど、そういう人間が生きるために外していけない視点があって、それを抜いてしまうから、判断が悪いものになってしまう。例えば、経済成長と環境とのバランスを考えて判断するから、経済成長だけという単純思考よりもより成熟したより良い判断につながる。
無限に視点はとれないわけだけど、外してはいけない、重要な視点があって、それを見定めないといけないですよね。短期的なスパンでしか考えないような効率、経済というのは、単純思考に問題があるわけで、効率、節約、経済に問題があるわけではない。例えば、長期的なスパンで社会のあり方を考えて、原発を止めるとなれば他のところで効率や節約を求める必要が出てくるでしょう。
 あすこまさんの、テストという言葉に悪いイメージがついているからどうしようみたいな呟きを読んだのですが、受験戦争の中のペーパーテストだけみたいな評価の単純さ、精度に問題があったと思いますが、テスト自体が悪いわけではない。そこの峻別、区別って、必要だと思います。経済やお金、効率といった言葉に対しても同じだと思っています。
歪んだ形で言葉の価値が貶められていることがあるなあって思います。テストは悪、効率も悪。そういう内容の表現が湧いてきて、多くの人々のイメージ、偏見を作っている。