ほんとカントは、すごい。不可知の部分でぐだぐだやっているのは、本当に無駄だと思う(ただ自分が信じている世界観を理解する、区別するのは大切だと思います。そのために他の世界観や思想も学んでいるんだな)。そこの問題も色々あるけど、僕は違うところに残りの命を集中する。不可知なところで争うのは、愚かでしかない。
カントは、理性の道をさらに開いてくれたと思う。カントを妄信するのは良くないだろうし、広く、近代の思想や価値観を盲信するのも良くないだろうけど、カント以後の人間の思考、判断は、大きく違う。宗教への関わり方も大きく変わったと思う。その前のようには、関われない。それは、本当に良い意味で。
今、カントがバカなことで争うのはやめろって、どこかで言っているよ。
 カントがいなかったとしても理性を働かせれば分かることだ。
仏教で言えば学問の進展で初期の仏教がどうだったか研究を進めて区別していくことは大切ですが、その後の新仏教は、共通するところはあるけど、違って変容しているところもあるのに、その変容しているところが元々のブッダの思想にないのに、どちらが本当のブッダの思想なのかとか争っているとしたら、命の無駄遣いだとしか思えない。
不可知なことでも憎み合うとか、なんて愚かなんだろう。