シュリーマンや解体新書の杉田玄白もそうだったと思うけど、40歳を超えても、チャレンジし続けられる人を支えるものとか原動力って何なんだろう。歴史上の人物でなくても、現代にもそういった方々がいて、すごいと思います。

40年間生きると、自分との長い付き合いだから、自分のこともある程度はわかってくる、全てではないけど。そこの罠が、自分はこんなもんだと決めつけてしまうことだと思う。自分の可能性まだ信じるというか、そういうのがまずチャレンジの土台に必要。

杉田玄白にしても、自分の関心や欲望の延長で、チャレンジをしている。はじめに自分ありきではある。シュリーマンも同じ。その先に人のためにもという想いはあるだろう。

自分を信じること。あと自分の関心と欲望を明らかにすること。

あとは、嫌なものは嫌だというのもわかってくる。それは変えるのは難しいかもしれない。できることは、確かに物理的にも限られている。そういったことからも、チャレンジする目標を絞ることができる。ただここは、自分はこんなものだと決めるつける罠の一つにもなると思うけど、どうだろうか。これは決めつけと違うか。嫌なものは嫌だ。それは、自分がこんなもんだと可能性を閉ざしてしまうこととは、違う。

手塚治虫さんが、夢を二つ以上もった方がいいと若い人たちに語っていた。

とりあえず、僕はパタンリストがさまざまな人間行為のデザインの最善の方法の一つだと考えています。それは誰か一人がやって終わりというよりも(とてもいいものなのに、実践している人は少ないと思う。パタン・ランゲージは問題解決に関わることなので、近いことをやっている人はたくさんいる。例えば一つの本を教員がだすということは、ある意味、一つのテーマのパタン・ランゲージに近いものを作っている。しかし、その本を支える思想と表現はパタン・ランゲージと同じではない。数学に近いかもしれない。パタン・ランゲージは、その表現法が思考の節約でもある。)、もっと一般的に実践されるようになると、世の中は、少しずつよくなるはず。その実践と発信を自分もその一人として、少しずつでもいいから続けたい。