千葉雅也さんのツイートを読んで考えたこと

 

こういう著者の人たちは、脳だけが心を生み出すという命題を信じている。確かに脳と一体となって心は働くわけだが、脳が心の働く場だったらどうだろうか。

例えば、ベートーベンの歓喜の歌のメロディが心に流れた時に、脳神経の現象として現れるものがあるが、その脳神経として現れたものは、歓喜の歌のメロディそのものだろうか。脳神経と歓喜の歌のメロディが心に現れることには、関係があったとしても、同じものだと言えるだろうか。それらは、別のものでバラバラに関係しあっているだけかもしれない。

これは、経験を超えたものがあるのかという問題に対して、どう人間が判断するのかということの応用となるかな。死んだ後の世界のように、死んだ後の世界は、経験的にはないだろうと判断できるし(誰も完全な死後を経験して戻ってきた人はいない)、経験的にあることを証明することもできる。しかし、経験を超えたものが、ないということを証明することは難しい。つまり、証明できなければ無知となる。

経験を超えた無知の領域について信じるか信じないのかという話にもなる。それについて、信じることが人をエンパワーメントするものならそれでいいと思うし、逆に狂わせるようなものだったら信じない方がいい。

https://www.amazon.co.jp/心はこうして創られる-「即興する脳」の心理学-講談社選書メチエ-ニック・チェイター/dp/4065241065/