再読 二十一世紀への選択

手元にないので、再購入。Kindleであったけど、元の版から修正されているかもしれないので、紙の元の本を再読したい。

これは、僕の感じ方なので異論はあると思いますが、程度の問題もあるのですが、池田先生の肉声をより感じられる本と感じにくい本があります。

本を作るというのは、編集者が少なくともいます。さらには、おそらく、確かめたことではないので推論ですが、対談集はチームで作られています。テヘラニアンは、確か、イスラム教徒の学者さん(確かめたら平和学が専門の方だった)だったと思いますが、池田先生を支える、池田先生が信頼する人がこの本を作る時には、編集者、助言者としておそらくいたと思います。具体的には、おそらくイスラム教などの知識について池田先生自身が学ばれたていたのはもちろんですが、それを支える人がいただろうと思います。世界中の様々な立場や分野の人と対話をされていたけど、それぞれ対話の準備には、相当、高いレベルの準備をしていたと容易に想像できる。それを支えるチームがあっただろう。対話の準備もそうですし、本にするための編集作業のプロセスもチームで取り組んでいただろうと考えます。

他の本も同じようにチームで作られていて、本によっては池田先生の声が感じられにくいものがあると自分は感じます。この本は、池田先生の声が感じられる本で、創価学会を超えておすすめできる本の一つだと思います。

全部、池田先生の本だと学会の方の中には、怒る人がいるかもしれないけど、本を作ったチームの人たちや(ここでも修正の仕方が大きく違ったのは間違いないと思う。)、池田先生の年代のよっての違い(この影響が大きいと思う、池田先生も、牧口常三郎と同じで、変わらない部分がもちろんあるけど、考えを修正し続けた人だった。)に気づけないとしたら、鈍感すぎるのではないだろうかと思います。違いに気づいて認識した上で、全て同じように受け止められる人は、すごいなと思います。僕には無理だ。鈍感というよりは、テキストをちゃんと読み比べれば誰でもわかることだ。

ここは、どうなんだろう。確かに池田先生のテキストが、その本によって違うけど(何度も確認になるけど、その本作りに関わっている人と池田先生の時間軸の違い、相手意識によって違う)、もっと違うのは自分自身なのかもしれない。

ただ自分自身が変わるというのは、違うというのは、いい意味でなんだけど、悪い意味もあるかもしれないけど、自分も年齢を重ねてまた変わっていくのだけど、変わらない部分もあって、その変わらない部分もいろいろある、考え方だったり性格だったり、その変わらない部分は本物なのかなと思う。

三つ子の魂は100までというようなの聞いたことあるけど、自分の性格もで変わらないところがある。あとは生まれてから形成された考えや考え方の部分で変わらないこともある。

創価というのは、価値創造ということ。池田先生が人間のための宗教だと教えてくれたけど、僕は僕の価値創造の人生を探究していく。自分がどう生きるかだから。そこはブレないし、死ぬまで(死んでも)変わらないところだと思う。

 

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