白バラは散らず

白バラは散らず―ドイツの良心ショル兄妹

白バラは散らず―ドイツの良心ショル兄妹

本書は姉のインゲが戦後に弟妹の思い出をつづり、付録として当時の反戦ビラをそえたもの。

「白バラ抵抗運動」について知らない人もいると思うので、気まぐれなんだけど、池田大作氏が学生に向けて話したことを以下抜粋する。


「だれかが始めなければ」彼らは立った、たぎる情熱で

学生たちが言論戦の火ぶたを
 一、第二次世界大戦のさなか、ナチスに真っ向から抵抗したドイツの学生の話である。
 ナチスの嵐が猛威をふるっていた頃、市民たちの手に、六種類のビラが、数百枚、数千枚とそっと配られた。ビラには、こんな言葉が書かれていた。
ヒトラーの口から出る言葉は、ことごとく嘘である」「ナチの宣伝を信じてはならない」
 読んだ人は驚いた。心の中では思っていても、だれも口にできなかったことである。自分のいいたいことを代弁してくれた――。
 大変な危険のなか、このビラを作ったのはだれか?
 それは、ミュヘン大学の学生たちが中心となってできた「白バラ」というグループであった。有名な「白バラ抵抗運動」である。
 ドイツでは当寺、大学の要職にナチスの高官が就くなど、大学はナチスの精神的牙城のごとくされたていた。そんななか学生たちが、言論戦の火ぶたを切ったのである。
 その戦いは、三人から始まった。豊かな資金があるわけでもなかった。手動のタイプで打った原稿を、手動の印刷機で一枚ずつ刷った。
 そして、その手作りの、”良心の声”を、”革命の声”を、市民のもとに郵送したのである。
 その勇気の行動は、わずか半年の間に、一人また一人と増えて、大学の内外に数十人に及ぶ理解の輪を広げていった。
 平穏なときは、だれでも何でも言える。しかし、この学生たちのように、大弾圧を受ける覚悟で働く人は少ない。その人こそ、人間として偉大である。どんな栄誉の人よりも、地位の人よりも、有名の人よりも。
 やがて、彼らに味方をして協力する教授や、ビラをドイツのほかの都市や国外にまで配る仲間も現れた。

同志を広げる
一、「白バラ」は、皆が志を同じくする、固い「友情の集い」であった。同志であった。そこに誇りをもっていた。
 リーダーの一人は語っている。
「こういうつき合いの輪を徐々に広げ、深めていくのは、たいへんすばらしい、心をそそられる仕事だ」(インゲ・イェンス編『白バラの声 ショル兄弟の手紙』山下公子訳、新曜社刊)

人間を内部から改革したい!
一、「白バラ」の学生たちは、「人間を内部から改革すること」を目指した。ゆえに、徹して言論を武器とした。
 彼らは、同時代の青年や多くの市民の“無関心の心”に呼びかけた。
 ナチスの「残忍非道をきわめる犯罪を目の前にして、かくも無感動であるのか?」(C・ベトリ著『白バラ抵抗運動の記録』、関楠生訳、未来社刊)
 無関心の姿勢は、結果としてナチスの狂気をあおることに通じるのだ――と。
「心にまとう無関心のマントを破り棄てよ!おそくならないうちに決断せよ!」(同)
 無関心の報酬、それは時に、あまりにも大きい。
 ゆえに、「心を閉ざすな」「目をきちんと向けよ」――これが彼らのメッセージであった。
 特に学生時代こそ、社会に、人間に大きく心を開きながら、真実を見極める「正義の知性」を磨きに磨くべきである。

「学問」と「精神の自由」を守れ!
一、 彼らは何のために戦ったか。
 それは、「学問と精神の自由」を守り抜くためであった。彼らは主張する。
「われわれの関心事は真の学問と純粋な精神の自由である! いかなる脅迫の手段もわれわれを脅かすことはできない」(同)
「自由(フライハイト)と名誉(エーレ)!ヒトラーとその仲間は十年の長さにわたって、この二つの立派なドイツ語をしめつけ、たたきつぶし、ねじまげてきた」(同)
 ゆえに、立ち上がるのは当たり前ではないか!
 彼らは、この決心で戦った。これが青年である。
 リーダーの一人はこういう言葉を残している。
「われわれの心から身を引きはなしてみよ――触れる者は血まみれにやけどするであろう」(本書)
 この、たぎるような情熱。これこそ青年の特権である。
 知識と実践。思索と行動。それを結ぶものは、若き純粋な「情熱」である。
 (中略)

「最後には必ず正義が勝つ」
一、さて、行動を始めておよそ半年後の一九四三年二月。最後となった六番目のビラを配っているところ発見され、中心者の学生二人が逮捕された。兄と妹であった。
 やがて非暴力の勇者たちは次々に捕まり、その数は百人以上にものぼった。そして、無残にも処刑された人々は三十人近くにも及んだという。学生もいた。教授もいた。女性もいた。しかし、彼らはいかなる状況に置かれようと、悪の権力にへつらうことはなかった。堂々と、我が道を一歩も譲らなかった。
 真っ先に逮捕された兄妹の妹、二十一歳の女子学生は法廷で問い詰められた。
「なぜ、抵抗運動などをしようとしたのか?」
彼女は毅然と答えた。
「結局のところ、どうしても、だれかが始めなければなりません」
そして「これで波が立つでしょう」と力強く語り、信念に殉じていったのである。だれかがしなければならないのだから、私がやる。私が一波となれば、やがて万波になっていくに違いない――。
「白バラ」の青年の最後の処刑が行なわれた翌日、ヒトラーが自殺した。
学生たちは権力の魔性に殺された。しかし、歴史は今、彼らの凱歌を高らかに奏でている。最後には必ず正義が勝つ。これを私は断言しておきたい(『真実を見極める「正義の知性」を磨け』より抜粋)