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平家物語 (講談社青い鳥文庫)

平家物語 (講談社青い鳥文庫)

★×8
どの集団も、やはり人材で決まる。教育で決まると思いました。
平家も良識のある人がいなくなってからは、もう落ちていくだけでした。


この本はツボでした。
僕のツボは、
おもしろくて、ためになり、そして普遍性を感じることです。僕はすべての人にとっての良書が可能性としては確実にあると思うし、全体から見ればとても少ないと思いますが、そういった本が実際に存在しているように思います。他の芸術でも普遍性を感じるものが好きです。尊敬しているある二人が音楽の話題のときに別の場で「真実」という同じ言葉を使っていたことが忘れられないです。一人の方は最近のアーティストが話題になったときに、そのアーティストが天狗になっている、本物ではないと言われ、「真実」と一言。そしてだまされたくないとおっしゃっていました。その人は、レベルミュージック、つまり抵抗の音楽しかほとんど聞かないという方です。たぶん貧困の問題などに日常的に現場で関わっている人なので、あまりのん気な音楽は基本的に聞きたくならないのかもしれないです。もう一人の方からは、テルミン演奏家でClara Rockmoreいいですよねという内容のメールに対して、「真実」に近いよねと返事をいただきました。同じ話題で「真実」という同じ言葉がとても尊敬している人たちからまったく関係のない別の場で出てきたので、僕にはとても印象に残っています。あまり音楽や芸術を評価するときに「真実」という言葉は使わないと思う。だからその分印象的でした。でも、言われていることはとてもよくわかりました。


便利だけど歴史の教科書だけだと時系列に歴史的に事実であるとされていることが書いてあるだけだから、あまりおもしろくないと思う。実際に歴史をおもしろいと思ったことは、高校を卒業するまでの学校教育で一度もなかったです。むしろ、嫌いになりました。歴史を好きになったのは、歴史を学ぶのは何のためを語ってくれる本や、司馬遼太郎の「竜馬がいく」や吉川英二の「三国志」など歴史小説を読んだおかげです。さらには一流の歴史学者が書いた良書を読んだおかげでした。たぶん自分の興味のあることを調べる学習が中心だったら、歴史が嫌いにはならなかったと思います。それで通史の知識が欠けるかといったら、そうでもないと思う。教科書は一読すれば全体が頭にある程度はいるのでそれで十分だと思う。あと一読したら、通史が大雑把にでも理解できるような教科書じゃないと、教科書として駄目だと思います。教科書を分けてもいいし、一回で全部読んでもいいのですが、教科書を読んだ上で、興味があるところを追求して学んで伝えたいことをアウトプットする時間のほうが、ちょっとづつ知識がマニアックになっていく通史の一斉授業を高校生になってまでされるよりは、よっぽど教育的でいい時間だと僕は個人的に思います。歴史を追及して自分がよく変わったり、生き方まで変わってしまうような経験はあっても、学校の歴史の教科書や高校卒業までの歴史の授業で自分がよく変わった実感は皆無です。それでなんの意味があるのでしょうか。