ペア読書 御書の世界

10分と決めて簡単に振りかえる。

佐渡流罪
日蓮佐渡流罪になったときには、
門下の人たちもたくさん迫害されて、
ほとんど壊滅状態になったらしい。

そこからの再建のだったので、ほとんど新しい教団の形成といえるのではないかということだった。日蓮の弟子達への手紙を読むと、慈悲の心にとても励まされる。地道なコミュニケーションの中で、信頼の絆が縦横に広がっていくのを感じました。


三度の高名。これは、
念仏などへの援助をやめて、法華経に帰依しなさいと、権力者を三度諌めたという話。日蓮のいうとおりにしないと、経典に照らして、内乱と他国から攻撃が起きるだろうということでした。

ここも理解を深めることできた。日蓮は思想の力をよく自覚していた。経済学者のケインズの話でもあったが、思想の力は思っているもよりも大きいです。

聖書の影響力もそうだし、
20世紀のマルクス思想によっての社会主義革命、
1990年代のミクロ経済学による、IMF世界銀行の政策、小泉単純一郎たちの政策、
ウェーバーなどで読んだ宗教社会学の話など。

日蓮はその当時に流行っている思想を熟知していました。当時は無戒の念仏、戒律仏教、禅などが流行っていました。宗教はなんらかの絶対性を説くものです。思想を通して、当時の日本社会の生命、心そのものを直視していました。。日蓮は証拠主義なので、経典を挙げる、でも、ただそれだけではなかったと思いました。人の心の傾向を見抜いていました。人々が持っている生命や心の歪、つまり傲慢や現実逃避志向、自分だけが悟れればそれでよいという心、人の可能性に対する不信の心などによって、内乱や自然災害などが起きるだろうということだと思う。自然災害といっても、人災の側面があると考える。人の心が被害を大きくしたり、小さくしたりする。思想宗教の混乱、人の心の歪から、このままだと必然的にこうなるだろうというが大乗経典の予言にあたるのだと思いました。だから経典に書いてあるからと言う面もありますが、根底には人の心そのものを思想を通して直視している面があるのだと思います。例えば現世を軽視して、死んだ後に救いを求める宗教が流行ると、来世志向、現実逃避志向が増えます。そうなると、民衆の中に現実変革をする力が弱くなる。諦めの心が蔓延して、権力をコントロールするのではなく、ただ権力に追従する人たちになってしまいがちだと思います。そうなって心が堕落すれば、いろいろよくないこと起きるというわけです。業論もそう。偏った業論が人を支配する。お前は昔から悪いことやっていたから、低い身分に生まれたのだとカースト制みたいに、差別を固定化したりする。この偏った業論、因果論を打ち破るのが日蓮仏陀の思想です。日蓮の思想を例えると、太陽のようです。太陽が昇ると、瞬く星(今までの因果律や偏った思想などの部分観)は見えなくなります。でも太陽が昇っても、星がなくなるわけではないです。ここで、大事なのが部分観が一概に間違っているわけではないことです。部分観なのに、それを全体だと思うと、誤ってしまいます。


手相とか姓名占い、こういったものを仏陀はたしか否定していたと思います。
仏教は思想や人の心そのものを直視しているから、先々をよく見通せるのだと思いました。宗教社会学とかの本を読んでもそうだけど、流行っている宗教や思想から、ある程度結果を予測することができると思います。言葉が未来を創る。思想によって未来や心が形成される部分があると思います。

日蓮は、
表面的なことではなくて、
その時代を作る本質を見ていたと思います。思想の力は大きいと思います。死んだら、もう何もないというのも世界観であり思想であるし、天国へ行くというのも世界観と思想です。世界観だったり、思想がどう人の行動を変えるのかということが大事な問題だと思います。