芦田宏直先生ライブ⑥

パワーポイントスライド振り返り 一部抜粋

1『学問のすすめ』「国民皆学」−日本のメリトクラシー宣言
まず自分は知育主義だと確認。やはり知識は大事。自分を救ってくれたのは知識でした。

2自由平等主義としてのメリトクラシー
メリトクラシーの対立概念は、近代以前の身分主義、階級主義」
「反身分主義、反階級主義としてのメリトクラシーという意味では『努力主義』と訳すのがふさわしい。努力しても階層が変わらないのが身分主義。変わるのがメリトクラシー。」


3フィッシュキンのトリレンマ


4家族の二重性
5一日の試験偏差値で人間が試される意味。
6ポスト近代能力としてのハイパーメリトクラシー
ハイパーメリトクラシー人間力、コミュニケーション能力、問題発見・解決能力・自己表現力、生きる力、個性、自主性など)
7教育とポスト近代型社会
「中曽根臨調路線における新学力観→知識の詰め込みよりも子どもの自発的な活動や体験を重視し、『指導ではなく支援』を重んじる教育理念・教育方法」
こういうことがあったらしいけれど、自分の受けた教育にはほとんど感じられなかった。自分が受けた教育は圧倒的に知識の詰め込み教育でした。自発的な活動や体験学習といっても一斉授業や『学び合い』と同じで、たぶんよい授業とわるい授業がある。
「主体的、個性的な教育は、教員の(教育)よりも、生徒・学生の〈学習〉に
力点を変化させた」
「主体性、個性教育=ハイパーメリトクラシー教育は、格差拡大教育」
「主体性、個性教育」といっても一様ではないです。
「主体性、個性教育」が根底にある国の教育の格差はどこでも、いつでもどんどん拡大しているのだろうか。例えばオランダのイエナプラン教育やインクルーシブ教育。すべての子のニーズにできるだけ答えるようにしたいという意図で方法を考えて自分なりに実行すると、よくできる子はどんどんできるようになるということは感じます。格差拡大って悪なんだろうか。それは学校教育の目的に合わないということなんだろうか。クラスで一番算数ができる子と一番算数ができない子を満足させる1対nの算数の集団教育ってあるのだろうか。




8「サービス教育が教育を荒廃させている。」
9「ハイパーメリトクラシー教育の弊害」
「自己表現主義は学校に来る前に〈自己)(学習の主体)があるという家族主義」
「家族の出自から独立した平等な教育が受けられることが(学校)の意義」
この話と合っているのか分からないけれど、学校ができるのは知育だと思う。人間的な善い触発は大切だけれど、すぐにできるようになるもんじゃないです。でもスキルは練習すればできるようになるし、知識は伝えられる。


10「〈学校〉は差別と利害から学生を守るところ
「必要や有用性を超えた教育を行うからこそ、出自を否定できる」

11「教えることは学ぶこと」
12「学生顧客論は間違い」
「生徒・学生は何を学ぶべきか知らないから生徒・学生」
まったく知らないわけではないと思うけれど、一理あると思う。