朝のつぶやき

 

自由な教育の費用対効果が良くないという話に思いつこと。
本当に好奇心のママにだけ学ぶのなら、そのこが生活さえできれば、学校にいく必要はないのかもしれないけれど、好奇心のまま学ぶことを重視する中で、学び方を学べるような環境もある。

好奇心を大切にするにしても、やはり人の通性をいかに考えて教育をデザインするのかなんだと思う。

思いついて支離滅裂のまま、仕事に向かわないといけない・・・。

好奇心は大切だけど、いかにただバラバラの好奇心だけではなくて、それに反する通性を考えること。

例えば、記憶で人は判断するところが大きいという話。あれからドリル学習も大切だろうという考えが出てくる。それ以前に、算数・数学の教育カリキュラムは、どんな知識が人に大切なのかという問いに対する答えでもある。人は、論理を使い、数の大小を考えて判断する生き物で、それはより良い人生につながる可能性が大きい。算数・数学は人に共通して大切だろうという考えが背景にある。

もし仮に徹底的に好奇心のまま生きるとすると、人によっては、そういう数学的な知識に遠いままに、あまり縁のない人生を生きるかもしれない。それはその人に本当に必要ないことなのかもしれない。それでも、何か大切なものを学ぶ瞬間を逃してしまったのかもしれない。

人間が、数の大小を考えて生きていく時、正確に数の大小を捉えることができれば、よりよく生きれる可能性がグーンと上がる。そう考えると、算数・数学は、学ぶチャンスがすべての人にあるべきなのかもしれない。そこから、学校のカリキュラムに算数・数学の内容が学ぶ機会としてあるべきだと考えられる。