http://www.asahi.com/articles/DA3S11225861.html



「外国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権は今回も認められていない」「公明党が『明確な危険』という客観基準を主張していなければ、どんなことになっていたか」


こんなの自衛のためだっていくらでも戦争を起こしてきたのが人間の歴史。大量破壊兵器があるとアメリカが中東の国に戦争をしかけて、何の罪もない民間人を虐殺してしまったのがここ十年くらいのこと。


こんなのどうにでも解釈できる。可笑しな権力者の連中が条件をそろえればそういう国になる。集団的自衛なんて愚かのことに付き合えば恨みをかって、かえって国民の安全が危険にさらされるだけだと思う。武力を使うチャンスを増やすなんてどう考えても賢明には思えない。いきなり自衛隊をなくすとかそういう極論は考えても現実的ではないと思うけれど、こういうところで少しずつ後退していくのだと思う。現実は国民に合わせて少しずつ変わっていく。どういう国に僕たちがしたいのか、またするべきかだと思う。


平和のためだと戦争をしてきたのが日本の歴史。


ああ日本はまた愚劣な方向に後退していると思う。


中江兆民の本を思い出す。
いきなりカントやマルクスガンジー(それぞれそんなに知らないけれど)が描くような国家にはならなけれど、そういう非暴力や貧困の解決に近づく努力をしていくほうが間違いなく賢明だと思う。大きく後退。戦争を回避して安心がほしいなら、日本と世界の貧困を解決しようと考えること、教育を大切にすることだと思う。中江兆民の本に出てくる酒飲みの賢者が言うように根本は僕たち一人ひとりが賢明にならないと国はよく変わっていかない(その国の人たちに合った国にしかならない)。そのためにもやはり余暇が大切だと思う。忙しく時間がなければないほど思考停止になるしかない。もっと大人も学生も国について政治について議論するのが当たり前になるような状況を創ることがこの国の最重要課題かもしれない。


こんなこと考えている場合ではないかー。