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日蓮大聖人のお手紙に「法蓮抄」ってありますね。
亡父の十三回忌に、曽谷殿が『法華経』を5回読誦したことに対するお手紙です。
ぱっと読むと、なんか、十三回忌を肯定しているように読めますが、そうではないのです。
回忌法要というのは、日本の坊さんたちが、自分たちの出番を増やすため、また、貴族たちが、儀式をおこなって、権勢をしめすために、作られた、日本独特の風習なわけです。
それ、大聖人が認めているというところに、まず違和感を持たねばならない。
実はね、その坊さんの出番&セレブの見栄である回忌法要には、もう一つの意味があり、それは、本地垂迹の徹底なんです。
インドのさまざまな仏の化身が、日本のさまざまな神である。
だから、インドの仏を拝まなくても、日本の神さんだけでいいのでは
(でも、まだこの段階では、インドの仏があくまで「本」、日本の神さんがまだ「迹(かげ)」であるという上下があります)。
それで、それぞれの回忌法要に、インドの仏と日本の神を同時に拝むわけです。さらに、複雑にいうと、そこに中国の地獄の十王思想が入ってきて、それとの関連も言われるようになる。
例えば、三回忌は、阿弥陀と五道王です。
それで、十三回忌は、大日如来と十王思想でいえば、祇園を、拝むのです。
当時、蒙古襲来に備えて、日本全土、ナショナリズムが沸騰していたとき。
真言宗ナショナリズムと親和性があります。
もともと、インドで真言(ヴァジラヤーナ)が出てきたとき、
仏教の最終段階で、イスラム教の侵入があり、
ムスリムを殺せ!という祈りを、いろんな宗教がやっていて、
それに、仏教が応えて、変質してできた、
「敵を殺す」祈禱を中心とした信仰形態が、ヴァジラヤーナなのです。
だから、蒙古襲来のときも、第二次大戦中も、真言が、
護国の宗教として、宣揚されたわけです。
それにたいして、「護国どころか、けっ、亡国やないか!」と、
ちゃぶ台返しをしたのが、日蓮大聖人なのです。
ともあれ、習俗として、十三回忌は、大日如来を拝まねばならない、
また、蒙古襲来に備えて、日本全土に真言の祈禱が響いていたときに、
曽谷殿は、『法華経』全編を五度唱えた。
これは、「非国民」とみなされる行動です。
それを、大聖人は褒め称えたわけです。
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7日〜49日は、もともとは、「倶舎論」に出てくるのです。

ここで、二つの留意点があります。

(1)「倶舎論」は、日本では、仏教の典籍として分類されていますが、もともとは、koshaは、百科事典ということなので、仏教の思想だけを述べたものではなく、当時の世間的な知識もたくさんでてきます。

それから、説一切有部のものなので、万物を実体化するという、ヴァイシェーシカ学派の影響が色濃く、ゴータマ・ブッダの考え方とは、正反対です。

(2)「倶舎論」にでてくる、7日、7日、7日と数えるのは、受胎から、胎児が1週間ごとに成長するプロセスのことです。
死んでから、7日、7日と数えるのとは、まったく逆です。
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おいらの勉強のためにTさんの記事。