今年度の振り返りなど

必ずいいところを伝えてからアドバイスしよう。
まず自分が明るい面に着目しないといけない。
悪いことにも立ち向かいつつそれには引きずられないようにすること。
両方とも欠かせない、当たり前のことだけど。


特にレバリッジポイントにはいい面にも悪い面(悪いループ、循環を生み出すこと)にもあって、
両方ともアプローチが甘い。真剣なら修正するべき。
自分に対して思うのはもっと真面目に真剣に仕事に取り組まなかきゃということ。
それは悲壮とかそういうじゃない。


それで何でもやれるほど時間もエネルギーもあるわけではない。
今年度思うのが計算ドリルの答えを自分がもって子どもたちの丸付けしているのですが、これも子どもたちにまかせたほうがいいかなと思いました。ここ数年このやり方です。答えを渡すと、答えを見ながらやる子が出てくるとはじめて学級担任になった時に言われたことを思い出す。確かにその通りだけど。答えを見ながらやる無意味さを話しつつ、やらないことに怒ってもしょうがない。逆にやりたくなるように何ができる考えるべきかな。僕が答えをもっているメリットが、その延長で、僕が答えを持っていれば最初のほうは答えを写さない。しかし一部だけど、友だちの答えを写すという行為に出る子が後になって現れることがあります。僕が答えをもっているデメリットは、丸付けの労力がかなりあるということです。放課後とか休み時間とか何かの時間にそれをやるわけだけど、それをやらないで子どもたちをよく見て、子どもたちを直接関わる時間を増やすほうが価値的かと思った。僕が答えをもって丸付けをすることで、子どもたちの現在の位置をアセスメントすることもできるけれど、それは従業の中で十分にできるので、そのメリットは捨ててもかまわない。答えを写しちゃう子は算数の力を磨いて行くことの意義が分かっていないので、結局僕が答えを持っていても、友だちに答えを見せてもらうという姿が出てくることある。こんな消極的で不確実でメリットの少ないことにエネルギーを使うのはもったいないかなと思う。


間違った問題をもう一度自学ノートなどに解き直すというようにしたほうがいいかもしれない。


何かを徹底するには、メリットの少ないと考えられることをなくしていかないといけないです。


もっと算数の意義や楽しさが伝わるように何よりもしないといけないし、どこにエネルギーを注ぐか。



30分祈って、朝食を終えて珈琲タイム。
自分で淹れる珈琲は安いし美味しい。


今日は午前中から仕事ができる。
成績のことなどいろいろあって、午前中には終わらなさそう…。


バナナと納豆がなくなりそうだから仕事を終えたら駅に買い物にいかなくては。



全漢字テスト(四年生の漢字を四まいのテストで振り返ることができる)を一週間に一回、後期は実施してました。これは回数が多すぎて労力が多い割に効果がなかった。できる子はずっと高得点、やって振り返って練習する中で点数を伸ばして行く子もいる。またなかなかずっと点数が伸びない子もいます。再テストがたくさんできるという状況だと、また受けられるという甘えが出てくるという話を読んだことがあって、確かにそういう側面もあるなということを思いました。

少ないテストを繰り返す場合。
もしやるなら月に一回か二週間に一回で、練習のテスト(自分で丸付けかとなりの人と丸付け)を何回かしてから本番というのがいいかもしれない。


また前期のように前期の漢字ドリルの20問の文を漢字に直すところを小テストとしてそれぞれ、テストは一回。それまでに練習のテストをしてからか。


理想的には漢字は蔭山先生が言われるような先取りが僕は理想だと思っていて、本当は一学期や前期の夏休みまでのその学年の漢字は基本的にはすべて終わらせたいです。それで月に一回は漢字のテスト(どれだけ書けるのか確かめるチャンス)があってもいいかな。



とにかく漢字の進め方に関してはテストも含めて、もっとエネルギーなどコストを少なく、子どもたちのパフォーマンスを高くする方法があると思う。今年度の課題の一つ。ここもコストを下げながら、高い効果をねらえるところだと思う。



結論は再テストがたくさんできると、また受けられるという甘えが出てくる側面があって、あまりたくさんテストを受ける機会があっても教員の労力の割に効果が少ない。しかし一切、再テスト、やり直しても認めないというのもよくないと思う。テストの回数は減らす方向で、自分で練習のテストをして、振り返って本人が修正する機会をもっと増やしてもいいかもしれない(これもテストに違いない。ただ自分で丸付けすると教師が丸付けするのではいろいろ意味で同じテストでも違う)。



徹底的に無駄を削ぎ落として、正の循環を生むレバリッジポイントを全力でおさえる。これは改善できることだと思う。国の教育の仕組みなど大きなことについては、自分の考えをもって投票などに反映させるしかないけれど、学級レベルで自分ができる改善がいっぱいまだまだある。がんばりたい。変わりたい。変えたい。学びたいこともたくさんある。


自分で丸つけるという設定でテストのやり直しは算数とかでもいいかもしれない。どうテストさせるかというのもいろいろな意味で問題。杉淵先生は何度も同じテストさせていました。一度のテストで解き方をおさえて、より短い時間に繰り返し同じテストをやらせる。それも一つの方法です。それで、できるようになれば3段階評価の一番の下がいなくなるかもしれない。中学の先生の話を聴けば中2に授業がまったくよく分からない子が出てきて、よく話を聴くと小学校の算数から分からないという。落ちこぼれ問題の解決のためにオランダではイエナプランができてきたけれど、実際にどのようにその問題を解決していくのか、国レベルでも現場レベルでも考えないといけない。日本にはこの落ちこぼれ問題が大きな問題として残っている。一学級40人の多様な子を同じペースでやって落ち惚れさせないとうのはそうとうの技術と力が必要だと思う。それができる人もいるかもしれないけれど、すべての先生に求めるのはかなり無理難題だと思う。教員は最大限できることをやろうとするだろうけれど…。


進級テストがないからな日本は。そのメリットとデメリットは何なんだろう。ずっと小学校を卒業できない子が出てくるのか。算数の積み重ねで学び残しがあるのに先に進むことに意味があるのだろうか。根本的にどうするんだろう。学級の中では個に合わせて小学校4年生でも一年生や二年生の学習内容に時には個でも全体でも戻ります。


授業をどうするのか、補習体制をどうするのか、イエナプランや進級の方法など大きな考え方や制度をどうするのかなどいろいろあると思う。とにかくできる改善を小さくても積み重ねて行くしかないか。大きな仕組み作りは政治家にまかせるというのは間接民主制なんだから、責任を放棄しないでしっかり誰を代表にするべきなのか考えることをやめないで投票することです。あとオピニオンリーダーが国民の声であったり、賢明な提案をして、国政に反映させていくしかないかな。そういった人だけではなく現場でもできることやって、声を出せる人は出して…。





ぼちぼち考え続けて、春休みに自分が学級レベルでやれる改善を具体的に考えよう。



反転授業とかイエナプランも具体的な解決策だと思うけれど、大事なのは経済の観点だとやはり思う。40人学級で今のやり方で授業の改善と補習体制の改善で、学び残しや落ちこぼれの問題を解決するというのには、コストの面でも、教員の成長という面でもかなり無理があると正直思う。補習体制が一切いらない授業ができればいいのだろうけれど、それを毎時間積み重ねないといけないということです。それがいろいろな事情でほぼ不可能なことだから、補習体制があって、その補習体制も十分とは言えなくて。いろいろなことを考えている人が日本にも世界にもいるから、たぶんもっといい方法と工夫(低コストで効力が高い方法や工夫)があると思う。コストかけるべきところにはかけるべきだけど。


冷静振り返ると前のところは35人学級を実現していて、授業にしても何にしても、同業者の世界は前に進んでいると思う。せっかく大学まで行かせてもらって、学んできたのだから、頭を使って、丹精こめて、前に進んで行こう。変わらないことは諦めるけれど、変えられることをいろいろ諦めないのだ。



経済の観点。コストを減らすこと、効力を高めること、二つの面を考えないといけない。



創価教育学のスローガン
経験から出発せよ
価値を目標とせよ
経済を原理とせよ