授業について考えたこと

必要性や切実性があると感じられないところ、
またはそれなりに上手くいくイメージができなところで
授業しても上手くいかないと思う。当たり前のことなんだけど。


必要性といっても、
教師や学校側の視点、子どもたちの視点で変わってくる。


教師や学校側、大人の視点から、子どもたち全員への課題があってもいい。
それは不自然なことだが、不自然なことは不自然でいいと僕は思っている。
不自然なことは不自然なことで意義があるし、理性とはそういうものだと思う。


思い出したこと。
算数の授業はよく問題解決学習だと言われる。
しかし、算数の研究授業でとても偉い先生が教えてくれました。
全部問題解決学習である必要はない。教えて練習させる、経験させる授業もあるのだと。
僕もそのお話を伺った時に、そうだろうなあと心の中で思いました。
例えば小学校の2年生のテープ図のところ。
テープ図をはじめて出会うところ。そこでは、
問題場面をテープ図を使って表せることを教え、練習しなければなりません。
その経験の上に次の学年の学習があります。


○○は、何とか授業だ、何とか学習だと一般化、絶対化するのは難しいかもしれません。
方法を絶対化すると、限られた状況にしか応答することができません。





小学校学習指導要領解説社会編 - 日記

前に振り返ってるところ、少し読んだけど、あまりに変わらない悩みが。
でも最後までもがけるところはもがきたいと思う。



大人の視点で不自然なことでも必要だと計画に考えること、
また一緒に考えてみようとか求めるのって、
不自然だけど自然だと思う。不自然の自然だと思う。



抵抗点は自分にしかない。