ほめ言葉の研究

考えたこと まとめ

正直、年度のはじめにやっているべきだったと思っているのですが、大事な課題なので、今からでもやろうと思っています。もう一月でお別れですが、よりよく生きることにとても繋がる大事な優先してあげたい扱いたい問題だと思うからです。例えば、今、バスケットボール型のゲームを体育でやっているのですが、すぐにその学習に直結していきますし、それに語彙が思考力と観察力の育成におそらく確実に繋がるだろうと考えているからです。言葉にも優先順位があって、ほめ言葉っておそらくすごく大事だと直感的にも思います。



予想ですけど、一緒にどんなほめ言葉があるか集めて使うことで、思考力と観察力を養えると思います。今まで「すごいね」とか言っていたことが、もっとしっくり言葉があることに気づくとか。いろいろな褒め言葉があるということは、やはり違いがあって区別があるということだと思います。自分のよさや身の回りにいる友だちのよさにもっと気づいていけるようになれば、自己肯定感にも繋がると思います。意味としては、語彙力、思考力、観察力、自己肯定感を育むことなどに繋がると思います。たぶん僕も子どもたちも、周りに人のよさに気づいていないように思います。語彙が豊かになってはじめて気づけることがあるように思います。言葉によって区別が繊細になっていくというか。言葉が少ない分、認識が単調になってしまう。そういう側面の改善に繋がる気がします。



例えばなかなか「麗しい」なんてほめ言葉使わないですけど、「麗しい」という言葉を調べて、○○さんに、こういう理由で、よく当てはまるねとか、活きた言葉の学習になりそうだなって思います。活きた文脈から学ぶというところでも、意味がありそうです。でも、やってみないと分からないです。


ペスタロッチ主義の直観主義、身近なところから遠くへという原則に合っていて言葉の学習として自然だとも思います。まず自分や身の回りの人を、直観とほめ言葉を通して考えてみる。それで言葉が身に付く。そんな意味もありそうです。



あと単純に身の回りの人に褒め言葉をあてはめて考えるので、やっていて楽しそうです。


それに語彙を増やす、広げる側面もあると思うのですが、「かわいい」「優しい」とかよく使われる言葉の意味も調べてみて、どんなことが当てはまるか考えてみるのも、よく使っているほめ言葉を深めるという点で意味がありそうです。



ほめ言葉の研究を朝学習の時間にやったら、ほめ言葉に「神」という言葉が出てきて面白かった。小3です。邪道な感じもちょっとするけれど、言葉は生き物だからいいと思う。国文法も100年前と変わっている。
意味は言葉が使われることで発生するという説がある。
ここ10年間くらいで使われるようになった言葉の使い方だと思う。たまにネットで見かける。僕はほめ言葉として使ったことないけど。まだ自分たちの中にあるほめ言葉を出している段階。明日の朝自習でもほめ言葉の研究を続けてみます。


続きが見えてきた。
ほめ言葉の研究を続けると
本の中にもほめ言葉を発見して、
書き言葉で使われるほめ言葉も語彙として増えてくると思う。