グラウンデッド・セオリーの構築―社会構成主義からの挑戦

グラウンデッド・セオリーの構築―社会構成主義からの挑戦

グラウンデッド・セオリーの構築―社会構成主義からの挑戦


僕は量的な研究は一生やらないと思う。
読むのはいいけど、自分がやろうとは思わない。


質的な研究か…。
この研究法のエッセンスとか、一部を日々の振り返りや研究に役立てることできないかな。



量的研究か質的研究かという問いはよくないか。


類推的学習の研究でも、量的に数値を出すことは意義のあることだったと思う。
量的な差を出す実験。よく考えていて面白かった。


どうせやるんだったら、
学術の文脈で、
研究者の人たちと現場が協力してやれるとよりいいと思う。


その時、その場だけの
ぶつ切りはもったいない。