アクション・リサーチって、正直、回りくどい感じもする。
仮説から省察までのサイクルよりも、
まずインプットのほうが大事ではないか。
世の中にどんな教育があるのか知るという。また歴史を知る事。
その上でのアクション・リサーチということなのか。
でもはじめのインプットや経験の積み重ねがない中で、
アクション・リサーチしても得られるものがあまりないように思う。
授業改善しようと言っても、
あんなに会話分析する必要あるのかな。
なんか不自然な感じもする。
まあ必要なければ会話分析しなければいいということか。
そのリサーチによって使い分けるという。
実践本だとカンファランスの本とか、PBLとかの本で、会話分析みたいなのある時あるか。
ただエピソードの記述は大事かな。ナラティブに省察するというやり方。
授業研究や教育実践研究をしようと思ったら、
この世界にどのような授業や教育があったのか、あるのか知ることが先決か。
その努力をある程度しないで、いくらアクション・リサーチやってもあまり意味がないと思う。
ただせまいところでフレームの相対化をしても、それ以前のことが足りないと、小さな世界でぐだぐだして、寂しい改善で終ってしまうのではないか。
その前に知る事、あとよりよい授業作り(あと実践を創ること)こそ勝負だと思う。
その上でアクション・リサーチの方法を駆使して、実践資料を集めて、資料を解釈することがより有意義になってくると思う。
あらゆる研究は、
資料などを省察(解釈)することですからね。
アクションリサーチ以前の問題があるなあ。
これで勝負するぞー!!!!
っていう気持ちのある内容でないと、省察したところでただ残念な自分が露呈するだけなよう気もする。というかただ残念な実りにしかならないんじゃないかなという不安。
グループ活動が大事だと考えているとかそんなレベルのフレームが相対化されて変容することに、どんな意味があるのだろうか。そんなことはふつうに現場にいて、本なども読んでいれば、振り返っていれば、いろいろな形態の活動があることを知り、自然と相対化されて、変容していくもんだと思うけど。
もうちょっと教員によるアクションリサーチの事例を読まないと分からないか…。
エピソード記述とか、アクションリサーチというか質的研究で豊かになってきた方法や発見は大事だと思うけれど。
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例えば、いろいろな保育があることを知って、
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アクションリサーチの前に現場の直観(経験)やインプットがあって、それがまず大問題だと思う。ここが豊かでないと、このアクション・リサーチっていう方法は活きないのかなと思った。
イアンが言うようにただ形式的にならないこと。
方法に溺れない事。
方法に過ぎない。
どんな研究もそうだけど、
研究のスタートである問題意識が大事。
フーコーがすごいのは調査も凄いもけれど、其の前の問題意識が常人と違うところだと思います。
それなりの問題意識や其の前のインプットがないと、微妙。