僕の失敗談。
協力しなきゃいけない!みたいなの正直、しんどい。
今年度、昆虫を育てようという学習で蚕をあつかった。グループでやるか個人でやるか悩んだのだけど、理科に熱い先生が学年主任だったころの経験に引きづられてグループで蚕を育てることにしました。でも子どもたちに葉っぱの場所などを共有した上でもいろいろ問題が起きた。ここで、グループの中で輪番とか僕はお膳立てしてあげればその問題は起きなかったのかもしれない。でもそんなことしなくても、マイ蚕で、個別に育てたほうがよかったのかなというのが、今年度の振り返り。
グループでもだいぶ違った。前は、グループ活動をどのクラスも教員が上手くいくように凄く助けてあげてたから。それに比べると今回は学年、3クラスで同じようにやっていたのですが、支援が少なかったです。そうすると、蚕を死なせてしまうということが出てきて(これは個別に育てても同じことなのですが、グループだと責任のなすり付け合いが出てくる。それに対して考えるのもいいでしょうけど)、それに対してもいろいろあるわけです。
それで次にもし蚕を理科で育てるなら、個別にマイ蚕としてやって、ゆるかに情報共有や餌のフォローし合いなどで、協同している感じでやりたい、それが理想なのかなと思っています。でもこれは蚕を育てることに限らなくて、他のたくさんの学習でもあてはまることなような気がします。
思い出す。



他のクラスでこのグループで協同して育てるというやり方に何人か苦情があった(今流行のアクティブラーニングの視点に合致していると思うのですが…。流行はイヤだな率直に思う。対話的な学び、協同といっても、本当にいろいろある。がちがちのグループ活動もあれば、ゆるやかに助け合っているような協同もある。だいぶ違う!)。