牧口カフェ

「一、教材の選択方針を一層精査して教科目教課程の整理を行ふこと。
二、教材の配列方法を一層研究して各教科の前後左右間の連絡統合の整理をなすこと。」(『教授の統合中心としての郷土科研究』)
今のカリキュラム・マネジメントで言われていることと同じですが、この本の初版が出たのはなんと、今から100年以上前で1912年(大正元年)です。
https://www.amazon.co.jp/牧口常三郎全集-第3巻-教授の統合中心としての郷土科研究-牧口-常三郎/dp/4476040535/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1542498009&sr=8-1&keywords=牧口常三郎全集%E3%80%803巻

今日は牧口常三郎の教育学に関心がある人たちの集い牧口カフェに参加して来ました。個性化教育全盛期の緒川小学校で勤めていた先生で、ある学級の取り組みが地域社会を変革していく総合の実践で国際的にも発表されている寺林民子先生のお話を伺うことができました。ものすごく刺激的でした。富山県にある堀川小学校というところに通い続けて、教育を追求をされている方でもありますし、母校の教職大学院の先生でもあります。堀川小学校も本が出ているので、ます本から読んでみたいです。チャンスがあったら学校も行ってみたい。

堀川小学校は、チャイムがない学校で、子どもたちの育っている姿がすごいらしいです。堀川小学校の授業を参観した方も多く牧口カフェに参加していて、お話を伺うことができました。

牧口常三郎に関心がある方にたくさんお会いできて、お話も伺えて楽しかったです。牧口の郷土科の本、ちゃんと読みたいと思いました。多方興味論もそうだけど、教育を根本的に改善するアイデア、ヒントがある。
https://www.amazon.co.jp/子どもの追究を拓く教育-ことばとの出合いから学びが始まる-富山市立堀川小学校/dp/4181890198/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1542539630&sr=8-1&keywords=堀川小学校


パタン・ランゲージは、リフレクションの時も重要な働きをする。
「パタン・ランゲージは、リフレクションの時も重要な働きをする。」これと牧口の実践を言語化する原理は、同じ働きをする。

例えば、牧口の多方興味論は、ヘルバルトの理論を追加修正した、人間が対象に交渉する際に要素を8つに分類したものです。知覚的交渉、利用的交渉、科学的交渉、審美的交渉、道徳的交渉、同情的交渉、公共的交渉、生命感覚(宗教的)交渉です。子どもたちが興味を喚起して、学習に向かうのは何故なのか考えて言語化する時には、この八つの要素は大事な視点になると思います。さらには、計画のする時の視点にもなります。

イーガンの「深く学ぶ」の教材(テーマ)を再吟味しようと考える時の視点にもなると思います。

うーん、アレグザンダーと牧口常三郎は、似ている気がして
きた。


依人の依法化という文化の人格を分類する視点の一つは、コールバーグの道徳の発達段階の理論と重なる。
その視点は六つあって、「感情の理性化」「自然の価値化」「個人の社会化」「依人の依法化」「他律の自律化」「放縦の統一化」。



依人の依法化という文化の人格を分類する視点の一つは、コールバーグの道徳の発達段階の理論と重なる。

その視点は六つあって、「感情の理性化」「自然の価値化」「個人の社会化」「依人の依法化」「他律の自律化」「放縦の統一化」。

こういった知識は、ブルーナーなどの理論と同じで、人類の財産だと思う。近代哲学と科学と牧口の知性や実践が奇跡的に結実している事例なんだと思う。奇跡と言ったら失礼なのかな。それでも奇跡にように思える。

当時、外国の学問に追従しているだけがほとんどの学術界で、外国の学問を修正して応用できる人は日本でとても少なかったようです。

アレグザンダーは、普遍性の高さのようなものがあることを指摘していたのですが、まさにその牧口が生み出したことの鋭さ、普遍性には、驚かされます。


「一、教材の選択方針を一層精査して教科目教課程の整理を行ふこと。
二、教材の配列方法を一層研究して各教科の前後左右間の連絡統合の整理をなすこと。」(『教授の統合中心としての郷土科研究』)
なぜカリマネが大事かということ、子どもと教員の心力の軽減、経済にあります。こういうことを大正元年に国の教育カリキュラムに対して訴えているのだから、びっくりです。
働き方改革とか言っているけれど、教員の研究の視点を根本的に改善する必要があると思う。研究とか、科学や知識に対する捉えに経済の観念が必要不可欠だと僕は思います。この視点の改善で緩やかに教員の実践研究も変わってくるように思います。
経済の観念がないことはないだろうけれど、弱いと思うなあ。僕は、ここが大きな課題だと思います、根本的な。


ハッティのある教育方法が効果的であるという述べるだけでは意味がないというのも大事な指摘だと思う。
教育の研究に経済の観念を明確に持ち込めないかな?
少なくとも自分が明確にその視点を持っていることは大切にしたいです。


竹田青嗣が、『欲望論』で、ニーチェフッサールの哲学理論を修正しています。同じことを牧口常三郎もヘルバルトの理論に対して行っています。優れた知性の人たちのパタン。理論の修正。


牧口の理論を他の理論と比較するって、きっと大事だなあ。そうすると、パタンとして捉えることができて、応用しやすくなる。


竹田青嗣さんがしていることも牧口との比較でパタンとして捉えることでよく理解できました。