ノンアル421日。

 

自分が受けたり見たりしてきた教育なんて、ほんのごく一部なんだろうけれど、被教育者の時から単細胞な教育に対する怒り、恨み、憎悪の感情が自分にはある。それは根がかなり深い。あるのはもうしょうがない。自覚したら、その感情に振り回されないことです。

 

ここへのカウンターの一つは、パタンを構成し、状況に応じてパタンを重ねていくということ。どんな教育スタイルであろうが、力能を伸ばす優れた教育には、パタンの重なりがあることを観察できます。これは理性、誠実さなど徳の表れだと思っています。少しでも豊かな経験になるようにと考えている教育者がデザインするものの中には、理性と誠意、状況に応じたパタンの圧縮がある。