「救育は、(自由の相互承認)の感度を育むことを土台にして、すべての子どもが(自由)になるための(教養=力能)を育むためのものです。別のいい方をすれば、このことを十分に実現するさせられる教育こそ、わたしたちは「よい」教育ということができるのです」苫野一徳『教育の力』p31
逆ではないかな。力能を実現できるようにしていくことこそが土台だと思うなあ。自由の相互承認の感度を育むことは、力能を実現できることに含まれると考えられるから。力能(なしうる力)とはもっと広い概念だから。自由の相互承認の感度が良くなるというのは力能が実現されることの一部。