人の認知能力、短期記憶の力などが弱いところから、課題は分けて教育をデザインするということが推奨されるみたい。そこから考えると、ライティング・ワークショップのような書くことを丸ごとは、認知能力の負荷が大きすぎてよくないということになる。しかし、意欲、価値を見出す、関連性という視点から見れば、この前の箕輪さんの本の努力は夢中に勝てないという話とも繋がるけれど、子どもたちが自己選択自己決定して夢中になって書くことを丸ごと体験していくと、その限られた小さい認知能力の限界を突破して、豊かなプロセスや結果が、ライティングワークショップのような書くことを丸ごと体験する授業、経験に見られることがたくさんある。ワークキングメモリなどの認知能力だけで教育を語ることはできないし、それらを無視することもできない。


ライティングワークショップの中にはミニレッスンがあり、課題を分けてデザインしている部分もあるから、単純ではない。ライティング・ワークショップを観察するだけでも単純ではなくて、教育は複雑。どちらの視点も必要だろうなあ。状況に応じてとなる。パタンの使い分け。



ペスタロッチ主義の原則も、人の認知の仕方についての哲学から来ているので、あれだけ押さえても、教育をデザイン、実践するのに足りない。