「パタン 文化の人格」と言う文章を今日は読み直した。これは、牧口が示した文化の人格の指標について、それぞれどういうことか自分が説明してみた文章(おそらく左右田喜一郎の影響もありそう)。

僕は、人はよくなっていけると信じている(社会のさまざまな仕組みを生み出すのは人だから、人がよくなれば社会も世界もよくなっていける。)。だから、教育の仕事を自分のいる場所で、希望を失わずに続けている。その希望は、実際に仕事を続けてこれた経験からくるものでもあるけど、こういった先哲の人間を捉える言葉が信頼に足るものであるというところからも出てくる。

方法的懐疑とか言うけど、僕はデカルトを読む前から、基本的に物事を疑って考える習慣がついている。それは、創価学会の家に生まれたのもあると思う。理屈のわからないことを信じるように親は僕に言ってきたから(あまり理屈は細かく考えないで、どちらかというと直感的に行動していくタイプの両親です。それは時にマイナスにもなるけど、自分と違ったいいところだと思っています)。そこから自分で納得するまで、徹底的に調べて考える習慣がついたと思う(自分なりにと言うことですけど)。その結果、納得できたことは、続くし頼もしい。時々、疑って考えてみるけど、その命題を支える無数の事例が信頼に足るものだと教えてくれる。