岩辺泰吏さんのブログから日記をまるごと引用します。
いい授業だなあと私も思いました。勉強になりました。
http://ameblo.jp/iwanabe/
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1月11日(火)曇り「大田区で詩の授業研究」
テーマ:みんな元気か? 新・学級通信
11月11日(火)曇り「大田区立調布大塚小学校の詩のアニマシオン」
5年生の教室で詩の授業が行われた。新任2年目の女性であったけれど、子どもをひきつけ考えさせるいい授業だった。若い仲間の皆さんにその様子を伝え、その努力の中身を共有していただきたいと思う。
本時は「詩であそぼう」といえる時間で、「あてっこ詩」の形をとった。まず、谷川俊太郎「おならうた」より「( )うた」としてタイトルをかくして掲示。これはすぐにあてられた。次に、工藤直子さんの『のはらうた』より「あいさつ / へびいちのすけ」の詩の一部をかくして掲示。その部分を推理させた。いくつかでたのち、「体の一部だと思う」ということで「しっぽ」が当てられた。そして、本番の詩となった。以下、掲示の詩。
おち葉
高野 聖子
家のドアをあけようとしたら
かれ葉が一枚
ドアの前にあった。
いつも
しらんぷりだったのに
この時だけ
特別に感じた。
( )みたいに感じた。
まず、個人で考えシートに記入。それからグループで話し合って短冊に書きだした。
手紙、友達が多く、家族、宝物、沖、おくりものになった。それぞれに理由が出された。そして、先生から作者の言葉が紹介された(冬の手紙)。なるほどという感じだった。
これでうまく1時間だった。子どもたちは満足していた。全体に学習の力の高い子どもたちである。一般的な逐条解釈の授業であれば飽きてしまうだろう。その子たちに少し背伸びの必要な詩を提示できたことが成功の80%だと思う。担任が子どもをよく知る。そこにふさわしいものを、家族も協力して読み漁って求めたということだ。そこに何よりの成功の裏付けがあった。
私の感想的アドバイス。
① 詩の授業としての深まり、おさえとしては、「なぜ多様な意見がだることになったのか」「それは詩のどの表現にあるのか」を論議すること。「いつも しらんぷりだったのに この時だけは 特別に感じた」という4行が含みが大きいい。そこをどう読むかを議論させたい。
② 詩集そのものを見せることによって、詩集への読書に誘うことができただろう。
③ 個人の音読によって「読み」を豊かに表現させたい。というようなことだ。
しかし、よくがんばったなあと感心した。「子どもからたくさんの言葉が出てすばらしいいと思った」「子どもに助けられた授業だった」と、彼女は「授業者自評」を述べていたが、そういえる経験は素晴らしい時間だったと思う。
そのあと、私は「短い詩の表現をつくろう」というゲームをした(写真)。
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