ハイデガー

子どもたちの存在そのものが持っている力がすごい。
どれだけ自分に力をくれているかと思う。


存在神秘というのは自分も信仰や危機などを通して思い至ることがあった。


ハイデガーの根本問題、テーマはわかって、
僕も同じように思うし考えるし、
今の自分には
その不思議さが当たり前すぎて、
どうでもいいかなと思ってしまった。

そうなると言葉が心にしみいってこない。だからやめよう。


哲学って、ある問題についてとことん考えていくこと。興味があまりない問題には、つきあえない。


形式的指標法とは、読者にことがらを伝えたり説明する書き方ではなく、読み手がわの思考改変をせまり、読者自身がじかにことがらに接触するようしむける喚起叙法である。

p35


ここは興味深かった。ハイデガーの一貫した表現方法、思考方法のところ。ハイデガーの哲学は道と言われる。直接明示するのではなくて、そこに至る道を提示するのだ。


直接語らないというのは、ヤマノハ兄さんの歌や、法華経の解釈について思い出した。法華経を南無妙法蓮華経の比喩として読む読み方がある。法華経という物語が南無妙法蓮華経を表している、比喩になっているということ。ハイデガー哲学の言葉でいうと、こういう読み方をした場合、法華経は「道」であるといってもよいかもしれない。



ハイデガーはもういいかな。また『存在と時間』にも興味がなくなってしまった。