いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか

これは昨日話題に出た古典。読むたい本リストに入って数年、読めてなかったのですが、仕事の後に昨晩購入。
問題解決のはじめが問題の理解。確かに問題解決学習はこの本がベースになっているのだろうと思いました。僕の強みは原点思考。こうやって原点、根本に帰っていくことは好きです。


昨日は「完璧」と形容される先生とお話。
算数に造詣がとても深い先生で、勉強になりました。


問題解決学習といえば、多様な考えを出すものというイメージがあったのですが、それはどうやら誤解みたいです。よく誤解されているとのこと。それは問題よるし場面による。スキルを身につける、練習場面、必要に応じて教えること、どれも問題解決学習に反することはない。前の職場に来た講師の人も教え込む場面は当然あることを講演していた(そりゃ、そうだろう!ってその時、思いました…)。この誤解されているという話題で上記の本のことが出てきた。


「はかせ」はやい、かんたん、せいかくってたぶん僕の住んでいる都道府県ではいろいろな場所で言われている?ような気がしたのですが、これも誤解されているらしい。


これは個人にとっての「はやい」「かんたん」「せいかく」と言う意味なんだと理解しました。算数でも何でもいろいろなアプローチがあるけれど、それは全体で優劣をつけられないことも多いし、無理につける必要もない。個人の中で「はかせ」になっていけばいいという。問題解決学習との関連で言えば、数直線やテープ図などのツールを知ることによってよりよくなっていくことはその子の問題解決学習のプロセスでもあるし、「はかせ」でもあること。


全体で優劣を簡単に価値付けできない場面で多様な考えが出ているときに、教師が無理やり一つの考えをクラスとして「はかせ」に誘導してしまえば、他の考えでがんばったの子の気持ちはどうなる?ということもお話がありました。不自然な価値付けを教師がせずに、もしいろいろ考えを子どもたちが聴きあって、違う考えがいいとなれば、それがその子にとっての「はかせ」になる。


これはそうだなあと思いました。算数に限らない普遍的なこと。自分の合うアプローチが、他の人にも必ず合うとは限らないということ。そういうことは算数に限らずあることです。そう言った問題の優劣を無理に教師が強制したすると、それはいいことではないのかもしれない。教師のスタンス。



宗教もいろいろあっていいのかもしれない。トルストイが言われるように真実は一つだろうが…。トルストイが言われるようにそこへ至る道はたくさんあるのかもしれない。