イエナプラン

正直、イエナプラン校を作りたいとは思わなかったし、イエナプランの教員研修を受けて、イエナプランの教員にもなりたいとも思わなかった。でもまねしたいことも
素晴らしいと思うこともたくさんあった。ただ絶対だとも無批判に受け入れられるものでもないと思った(動画を見た同じ場にいた人も話していたけれどイエナプランにはデメリットもあると思う。プロセス重視。それは大切。でも大人数相手には向いていない。それは確かに重要だけど万能ではない)。
創価教育学、デューイやマッハの哲学、カントやペスタロッチ、ヘルバルトの哲学が自分の根底にはあるのだとイエナプランの説明を見ながら思った。


今日見た動画にあった一斉授業に対する問題点については一つ以外は勘違いかなとも思った(勘違いというよりは当時はそのとおりだったけれども、今は違うということもかもしれない。)。その一つは重要なんだけども。子どもたちは自分のペースで学べないという部分。一斉授業の課題はみんな同じ。でもそれもそんな単純ではないかもしれない。一斉授業の中にもインクルーシブな課題も存在するから。


今の一斉授業はただ知識を伝達するものでもないし、協同がないわけでもない。算数なんか知識を創造するように教科書は作られている。これらの協同や知識の創造などの要素がない(一方的な知識の伝達だということ)というのは今の一斉授業への批判として誤っていると思う。


自由主義の後にケインズが出てきたみたいに一斉授業もただの知識の伝達ではなくっている。



イエナプラン校が日本にもあればと強く思った。多様な子たちが日本にもいる。もう少し学校も多様になれば救われる子が増えると思う。


僕はアトウェルやスーザンのスタンスに近いかな。イエナプランにも近いし惹かれるけれど。


異学年学級も面白い。特別支援学級ではけっこうありそうだけど、普通学級でも日常的になると効果的だと思う。真正。オーセンティック。



よく考えたら、本当に真剣に教育に対して考えるなら、プロセスアプローチが無理なくできる学級の人数にするべきだと思う。ああ、わが国はいろいろな意味で真剣ではないんだなあってことがよく分かる。教育の予算からも裏付けられるけれど、わが国は教育に対する認識が甘いし、思いが軽い。残念。



オメガとしてのモンテスキュー的相対思考(相対思考って究極、最後のところなんだと思う。最近読んだ自己変革の理論にあった人間知性の三段階の最上と同じ)。
イエナプラン、モンテッソーリとか、一つの考え方だけにとどまったり、それを絶対的に考えることが嫌なんだと思う(イエナプランの教師とか、モンテッソーリの教師とか、そういう型にはまっているのが嫌なのかもしれない)。ただイエナプランの原則などの中には共感できることがたくさんあって、それを少しずつでも実現したいとは思う。


イエナプランは創価教育学に近いかな。理念や哲学に近い。そこまで深く考えている。だから好き。


創価教育学も一つの思想。その意味ではイエナプランと同じ。理念や哲学があって、そこから多様な方法が出てくるだろうという見通しが両者の共通点か。それはモンテッソーリと違うところか。


モンテッソーリは教具に目がいきがちだという話。でも一斉授業への批判から考えるとあやしい感じがする。モンテッソーリモンテッソーリで学ばないとその真実が分からないだろう。