芦田宏直先生ライブ② 

http://togetter.com/li/97709
ちょっと芦田先生の言葉(言い方)と正確には違っているように思うけれど、
こういうのは有難いです。


「15の春は泣かせない…なんて言葉で、受験戦争を揶揄したものがあった。たった一日の試験結果で一発逆転してしまうテストを批判したものなわけだか、…その結果として人間性主義を誇張する流れがあったが、内申を重視すると何がおこるか?…」
「ボランティア活動だの中学高校の成績だのが評価に入ってくると、ずっと長い時間評価にさらされるわけでしょう?ずっと教員の目を気にしている。結果、教員が威張りはじめるわけですよ。人間性重視にすると、逆に子供は縮み、教師が威張る。」

心底、共感した。
授業じゃなくて権力で子どもをコントロールする学校教育。


「学生顧客論のそもそもの間違い…授業のデザインは教員がすべき。学生、生徒に授業にたいす決裁権は無い。たとえば連立方程式を知らない生徒に連立方程式を教えるのに、その授業の決裁権をどうして生徒に与えられる?だって生徒は連立方程式をその時点で知らないんだよ?」
授業のデザインは教員の仕事だけど、授業の決裁権は全部与えないけれど(自分は選択をさせることに意味があると思っている。それは全部選択させるということではないです)、連立方程式を教える時点で、多くの子どもたちが連立方程式についてすでに知っていることはよくあることだと思う。あの課題がバラバラでミスマッチな状況をどうするのか。大学はまた別だけど、中学校、高校と進学するに従って、どんどんミスマッチが激しくなるような感じがする。現実の多くは知らないですが…。できるだけミスマッチを減らそうと思ったら、ミニレッスンという方法は大事だと思う。できるだけその集団の多くの人の課題であるところを一斉にコンパクトにできるだけ短い時間で成果が出るように攻める。またペスタロッチが「教授は児童の自己活動によるべきだ。」と言うように自己活動ということも大事だと思います。


メリトクラシー(主要五教科など)とハイパーメリトクラシー(コミュニケーション能力など)と呼ばれてものが求める能力はいつの時代でも必要なものだと思う。歴史的にはいろいろことがあったみたいですが。
特に小学校では両方求めることが大事だと思います。でもたしかに専門学校や大学で、コミュニケーションの専門でもないのに、大学や専門学校としてハイパーメリトクラシーが前面に出てくるのはどうかと思います。専門学校や大学は専門性を高めるところだとは思う。


思ったことはたしかに芦田先生が校長をしてデザインをしたから、あれだけの結果が専門学校で出たのだということ。膨大な資料、大学時代の授業が懐かしい。圧倒的に生徒と情報量・知識量が違うし、大量の知識をインプットさせるには、一斉講義がその授業に適していた。学び合いは一斉授業と同じで万能ではないと思う。現実的ではないですが、相手にしている子たちが、全部分かり方が同じで同じ知識量だったら学び合いは成立しないし、一斉に教えたほうが効率がいい。関係次第だと思う。今自分が相手にしている子たちは、最初の5分から10分のミニレッスンでインプットしてから学び合いをさせたほうが効率がいいというのが実感です。ブリーフィング(課題や活動の説明)は当然だし、課題がバラバラじゃなくて近いところは一斉に攻めたほうが効率がいい。ミニレッスン→学び合い→ミニテストというのが多くの自分の算数の授業の流れです(今のところ)。


当たり前だけど講義型でもいいものはいい(関係次第だけど)。


芦田先生って、イエナプランについてはどう考えるんだろうか。
これも落ちこぼれをなくそうという目標では芦田先生と同じだと思う。


たぶん高次に立てるんじゃないかなと思いました。
芦田先生はバサバサ切られるけれど、現実はそんな単純ではないと思うこと何回かありました。例えば自主性とか選択にはデメリットがあるけれど、メリットもあります。個性主義は、個性だから何でも認められるということになるというお話があったけれど、イエナプラン教育もそうだし、日本でも心ある個性を大切にしようと思っている教育者が個性だから何でも認めるなんて思ってない人がほとんどだと思う(自分の貧しい知識の経験の範囲でしか知らないけど)。PAだって根底に選択理論があってチャレンジバイチョイスがあってもフルバリューコントラクトがある。『学び合い』で成果が出るわけないというお話があったけれど、人によるけれど現実には出ている。たぶん小学校では、多くの「一斉授業(一斉授業といってもその経験の質は、その一斉授業と集団と子どもたち一人ひとりの関係によって全然違うと思う)」中心の人よりもよい結果を出している人がたくさんいるのではないかと思います(これも貧しい知識と経験から推測)。教育に選択をうまく使いながらも、勉強で結果がでないことを生徒の自己責任だと思っていない人もたくさんいると思う。自主性を大切にして教育している人で、結果が出ないのが子どもの自己責任だと考えて、自分の影響(教育)を棚上げする人なんてほとんどいないと思う。少なくとも自分の周りの教員には一人もいないです。


ワークショップ型の授業とか、記述式の試験とか、芦田先生がおっしゃるような方法でよりブラッシュアップできると思う。より客観的に評価をできるようにする工夫。