脱構築

ブッダはわざとバラモンの言葉を使って内側から働きかけ、その思想を解体して、建設的に新しい意味が立ち現れてくるような言動、思考法を使っている。しかし多くの人はバラモンの思想をブッダの思想だと勘違いしてしまっている。日本式のほとんどの仏教が勘違い、誤解して、まったくブッダの教えとは別物になってしまっている。これは教育の分野で起きていることとも似ていると思った。教育の思想の話は、脱構築ではないけれど、その教育理論や実践を輸入する時に、なぜだか別物になってしまうことがある。