仏教

Kさん

釈尊は、この世は「苦」に満ちている、と洞察した。
「苦」と聞くと、おおくの日本人は、身体的・精神的苦痛をおもいうかべるかもしれない。しかし、じつは、それは、ニュアンス違いの受けとりかただといえる。もっとも近いのは、「苦」の英訳で、それは、「unsatisfactoriness」、つまり、「不満足」である。
満たされない煩悩、それに悩まされる状態、それを「苦」というのだ。代表的なのは、「渇愛」。からからにのどが渇いたひとが、水を求めるように、物事に欲望するのだが、満たされない状態、それが、典型的な「苦」である。
仏教は、この「苦」を解決するために生まれた。
仏教の原点を確認。
もうひとこと。
仏教は、一面、貪・瞋・癡の三毒を克服することを目標としてきた。三毒とは、端的にいえば、「やってはいけないとわかっているのに、やってしまう」生きかたの癖のこと。この、癖を、欲望に翻弄されない、ただしい生きかたの軌道に調整していくこと(しかも、それが、ナチュラルにできるように、自身を陶冶していくこと)、それも、仏教の原点である。

飲んではいけない時に飲んでしまうのんべーな自分を克服できるのだろうか。
釈尊のこの洞察から、ショーペンハウワーの本を思い出します。


恐れるのは、のんべーの夏休みになること。


ショーペンハウワーの言う苦しみとブッダの言う苦しみと重なるところもあれば違うところもあるのかな。