フーコー

知への意志の講義のフーコーによる要約を読んだ。
最初に扱われていた思想家はアリストテレスニーチェ
これから扱うだろうということで、プラトン、ショーペンハウワー、スピノザの名前が挙っていた。最近、読み直したものや、それと関係あるものばかりで少し驚いた。



人間に歴史の大きな枠組みとして個々に影響を与える、個々を支配している知の枠組み、そんなことを扱っている。


認識はひとつの「発明」であって、その裏側にあるのはそれとはまったく異なったもの、すなわち、本能、衝動、欲望、恐怖、所有の意志の戯れである。それらが闘争し合う舞台において認識は生み出されることになる。

認識は自らを真理の認識であると主張すれば、それは、認識が、真と偽との区別を定立する原初的でつねに更新される偽造のゲームによって真理を生み出すからである。


ニーチェの『悦ばしき知』という本から引用されていた言葉。