供養

Kさん

「供養」は、サンスクリットで、「pūjā」「pūjanā」といい、もとは「尊敬」に関連する語だった。供養とは、「尊敬を表明すること」であり、「仏」は、別名を「応供」、すなわち「尊敬に値するひと」といった。
尊敬の念がわいて仕方がなく、それを表わしたくて、やむにやまれず表現におよぶような、そんな行為のことを、「供養」という。そして、供養による最大の功徳とは、ひとを心から尊敬できる、その「心」自体といえる。
釈尊が、ある信徒から金銀財宝をもらっても喜ばず、別の信徒から泥だんごをもらって喜んだのは、供養の品のよしあしではなく、そこにこめられた「心」を見ていたからである。
日蓮が書いた手紙の多くは、供養にたいするお礼であった。日蓮が、毎度、あれだけ長文の手紙を書こうと思ったのも、一面、日蓮を尊敬する弟子の心に触発されてのことだと思う。師から教えを引き出したのは、師を敬う門下の心だった。
供養は、最高のコミュニケーションのひとつである。

泥のだんごか。心ころ大切なれですね。勉強になります。真心。


真心と言えば、
家族や友人の真心も嬉しかったけれど、
教え子の真心の手紙がもっとも嬉しかったかもしれない。

TB君 - 日記


TB君は元気かな。