たぶん大事なことに気づきました。

牧口が当時(約100年前)、プロジェクトメソッドなどの自由教育の方法が見る影もなくなったというようなことを指摘していた。

しかし、もう少し長く歴史を考えると、今も一部だけど、アメリカでも、日本でも、その他の国でもプロジェクト学習は、熱心に行われている。

考えられるのは、
当時の日本人のプロジェクトメソッドに対する理解や実践(また技術)が浅かったのではないかということ。

当然、歴史を重ねれば、その理念の教育技術も練磨されていく。その教育は深くなっていく。

今、サドベリースクールなど多様な学校が世界にはあるけれど、それぞれに理念があって、それぞれに理がある。それぞれ平行するように続いていくようにも思う。なくなっていくものもあるかもしれない。ただ長く続くものはそれだけのものだということだと思います。

作文で言うと、
選択と題材を与えること、矛盾するようだけど、
それは意図によって、その作文教育で共存できる。そのような相反するもののミックスというものがあるし、それが有効に働く場合もあるというのが現実だと思う。何を優先するかは、また別の問題。それも教育において大事な問題だと思う。