アクティブラーニングって、3つの視点があるだけじゃん。どうでもいい。

その3つの視点については、この仕事を始めた頃から考えてきたことで、今更強調されてもどうでもいい。
むしろ、その3つの視点の貧しい見方を押し付けらることを恐れます。


「深い学び」
「深い」とは相対的な概念です。「学び」とは何か。
大切だと思うのは元ネタを押さえること。それ以上でもそれ以下でもないからだ(この視点を打ち出した連中の考えの元ネタのこと)。



対話的か。
自分と対話するという考えもあるのにね。
哲学とは自分と対話することだ。
貧しい固定的な対話観を押し付けられる未来を思うと、吐き気がします。


僕は哲学は根本的には1人でやるものだと思っています。最近強い関心を持っているのが、ハンナ・アーレントというドイツ出身でアメリカで活躍した女性の哲学者なんですが、彼女は、ものを考えるとは「私が私自身と対話することだ」と言っています。「ツー・イン・ワン」って言ってるんですが、ものを考えるというのは、1者の中での2者を経験することである、と。またアーレントは、私が私自身と一緒にいることを「孤独(ソリチュード)」と呼び、これを、私が私自身と一緒にいられないがために、他人をもとめてしまう「寂しさ(ロンリネス)」と区別しています。孤独な人は必ずしも寂しさを感じるわけではないということです。そして孤独においてこそ、人はものを考えることができるのであり、哲学もそこに立脚している。

國分功一郎