ガツンとくるものがお話の内容にありました。
具体的には書けないけれど、
おそらく心にも本当は思ってもいないことを、何重にも働く権力に従って、ペラペラしゃべていた人のことを思い出しました。あれは認めてもらないといけないという恐怖からだったのだろうか(抵抗することは、その道の終わりか。それは始まりにもなるはずだけれど)。
 
今日も午後からは仕事で、それは僕にとってそれほど苦ではないけれど、それなりに忙しくて、思考停止になっている部分もあることを思う。
 
自分にもあるあの人のことを悲しませたくない、失望させたくない、こんな思いも恐怖の一種なんだろうか。
 
認識せずして評価しないようにと牧口先生は教えてくれたけれど、認識することが難しい。でもそれを辞めること、諦めることは心の自殺なのかもしれない。