結局、最終的にカントは可能的経験と叡智界の2元論を保っているということか。それが表裏一体の関係のあると。
 
認識できる部分(現象)と考えてあるとしか考えられない、理性が要請する部分と合わせて実在と考えてもいいのかな。そうすると牧口も左右田も考える時のそのモードによってどちらも正解ということになるのだと思う。
 
認識に寄せれば、必ず2元論になる。でもその奥底も含めれば表裏一体の一つの実在と考えることもできる。
 
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この段落、柄谷の読みと通じている。
「一なる可能的経験」と物自体の「叡智的性格」は表裏一体か。バラバラで一緒なんですね。両立。
「カント哲学試論」p250福谷茂
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