「わが教育者に贈る」を読んで

2012年2月1日の聖教新聞から「わが教育者に贈る」という池田先生の連載がありました。教育部の会合でもらった新聞のコピーが出てきたので、読んでいます。


牧口先生は「子どもの幸福」を「価値創造の能力を涵養するにあり」と示されました。つまり、子ども自身に「如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る能力を持たせんとすることです。

幸福っていうのは与えられるものではなく、自分で創り出していくものだという考えの後の言葉。今いろいろなことと繋がって、至言だと思う。日蓮の遺文も、テキストそのものには意味はなく、読み手との関係によってはじめて意味が創り出される。読み手によって、引き出される意味は違ってくる。読み手がいなければ、その遺文はただのインクの染みに過ぎない。読むということは意味を創造する行為です。ただそれは証拠もなく好き勝手に読めるということではない。


同じように人は無から何かを作り出すことができないけれど、

真の幸福は、どのような境遇にあったとしても、「今から」「ここから」、自分で創り出していくものです。

ということ。




「教授の目的は興味にあり。」牧口常三郎


「よき教師は、生徒たちと一緒に学ぶことを、また生徒たちについて学ぶことを、大いに楽しむものです。」ガリソン博士


「社会的観点から見れば、依存性は弱さよりむしろ力を意味するのであり、それは相互依存を伴うのである」デューイ『民主主義と教育』


「教師こそ最大の教育環境なり」池田大作
これは池田先生が繰り返し言われること。
ファシリティブな先生と考え方が牧口先生はよく重なると思ったことがあるのですが、ファシリテーションのような児童中心の考え方でも、教師の影響力には凄まじいものがあると僕は思います。環境作りもそうですが、その場にいるファリテーターの力を、5、6年で、いろいろな方のファシリテーションを経験してきてそう思います。この信念から導き出されるのは、教師自身が学び続けてることの重要性です。教師自身が成長し続けることが大切だと思います。



あと10分で読める範囲で。


まず子どもたちを信頼すること。
信頼の力。



これ読む前からそうだけど、
人の関わりで、
自分のことを大切にしてくれた先輩方のことをいろいろと思い出します。
  


安全地帯。
学級が安全地帯になること。教師自身がその子の安全地帯になること。


創価学会の教育部は教育実践記録というのを集めていて、
三千の事例を検討したところ、
教師に望まれる子どもへの「五つの関わり」が抽出されたという。

①「信じぬく」
②「ありのまま受け容れる」
③「励まし続ける」
④「どこまでも支える」
⑤「心をつなぐ」